年号 | 年月日 | 年齢 * | 干支 | 出来事 |
---|---|---|---|---|
天保 | 15年 1月 1日 (1844. 2.18) | ( 0才) | 【甲辰】 | 山口一として江戸に生まれる |
弘化 | 3年 4月15日 (1846. 5.10) | ( 2才) | 【丙午】 | ・高木時尾(後の妻)誕生 |
嘉永 | ・京都以前の斎藤さん | |||
安政 | ||||
万延 | ||||
文久 | 3年 3月 4日 (1863. 4.21) | (19才) | 【癸亥】 | 新選組入隊 |
6月 3日 ( 7.18) | 大阪で力士と乱闘 | |||
8月18日 ( 9.30) | 禁門の政変、蛤御門の警備 | |||
8月下旬頃 | 米屋の押し込み強盗を討ち取る | |||
9月中旬頃 | 大阪の吉田屋で宴会 | |||
9月26日 (11. 7) | 長州間者斬殺 | |||
元冶 | 元年 6月 5日 (1864. 7. 8) | (20才) | 【甲子】 | 池田屋事変 |
7月19日 ( 8.20) | 蛤御門の戦い勃発、出陣 | |||
8月 頃 | 近藤局長 異議アリ! | |||
慶応 | 元年 4月 頃 | (21才) | 【乙丑】 | 隊士募集のため 江戸へ |
2年 4月 1日(1866. 5.15) | (22才) | 【丙寅】 | 谷三十郎 暗殺 | |
3年 1月 1日 (1867. 2. 5) 〜 3日 ( 2. 7) |
(23才) | 【丁卯】 | 島原の角屋で命を懸けた酒宴 | |
1月 7日 ( 2.11) | 四条大橋の斬り合い | |||
3月20日 ( 4.24) | 御陵衛士として新選組から分離 | |||
6月22日 ( 7.23) | 武田観柳斎 暗殺 | |||
11月10日 (12. 5) | 月真院より脱走、山口次郎と変名 | |||
11月18日 (12.13) | 油小路事件 | |||
12月 7日 (1868. 1. 1) | 天満屋護衛 | |||
4年 1月 3日 (1868. 1.28) | (24才) | 【戊辰】 | 戊辰戦争始まる | |
明治 | 元年 9月22日 (1868.11. 6) | (24才) | 鶴ヶ城落城 | |
2年 5月 -- (1869) | (25才) | 【己巳】 | 戊辰戦争終結 | |
斗南でやそと結婚(@@) 各地を放浪 |
||||
5年頃 (1872) | (28才) | 【壬申】 | 密かに警視庁入庁 | |
7年頃 (1874) | (30才) | 【甲戌】 | 高木時尾と結婚 | |
8年 6月 1日 (1875) | (31才) | 【乙亥】 | ・姉 勝(晩年はひさ)死去 | |
9年12月15日 (1876) | (32才) | 【丙子】 | ・長男 勉誕生 | |
10年 2月20日 (1877) | (33才) | 【丁丑】 | 警部補として警視局に奉職 | |
5月18日 | 西南戦争で九州へ | |||
12年10月 4日 (1879) | (35才) | 【己卯】 | ・二男 剛誕生 | |
19年 7月 1日 (1886) | (43才) | 【丁亥】 | ・三男 龍雄誕生 | |
24年 4月 2日 (1891) | (47才) | 【丁亥】 | 警部で警視庁を退職 高等師範学校附属東京教育博物館の看守になる |
|
32年 2月27日 (1899) | (55才) | 【乙羊】 | 高等師範学校附属東京教育博物館を退職 女子高等師範学校の庶務係兼会計係になる |
|
42年 9月28日 (1909) | (65才) | 【己酉】 | ・孫(勉の子)素子誕生
女子高等師範学校を退職 |
|
大正 | 元年 2月 9日 (1912) | (68才) | 【壬子】 | ・孫(勉の子)實誕生 |
3月 6日 | ・素子が夭折 | |||
2年 3月18日 (1913) | (69才) | 【癸丑】 | ・孫(勉の子)律誕生 | |
3年 4月27日 (1914) | (70才) | 【甲寅】 | ・孫(勉の子)恭子誕生 | |
・晩年の一さん | ||||
4年 9月28日 (1915) | (72才) | 【乙卯】 | 永訣 其の時 |
旧暦→新暦変換はこよみのページを参考にさせて頂きました。感謝。