掲載日:1997/06/11 最終更新日:1997/06/18 改 2 版 |
島原の角屋で命を懸けた酒宴 | |
---|---|
よくやったよな | 慶応3年1月1日〜3日 |
さあ お正月、新しい年の始まり。(ちなみに一さん 23才のお誕生日。)伊東に誘われて 永倉・斎藤が、伊東一派(この日ついてったのは 服部武雄、加納鷲雄、中西登、内海次郎、佐野七五三之助、鈴木三樹三郎らしいです)と島原に繰り出しました。 飲めや唄えやの大騒ぎ、そして夜も更けてくる。平隊士達は 何よりも恐い 新選組隊規がちらついて 門限の頃には帰ってゆく。(新選組では役付きの者がそれを破ったら切腹という規則があります。)で 残る幹部さん達。流石の永倉・斎藤も「伊東さん、そろそろ」と言いはじめる、でも伊東は はなから帰るつもりなんて無かったと思うんですけど、「いやぁ、今宵は酔っ払った。折角のこの良い気分、屯所なぞに帰るのは興醒めというもの。お二方、後は私が一切引き受けます故、このまま今夜は明かしましょう。」と言います。(いや 本当にこう言ったかどうかは別にして、なんとなく こんな感じかなと。)で 永倉も斎藤もあれですから、「そいつはいいやね。」ってことで飲み続ける。 私が思うに伊東は 初めから近藤・土方のはなを飽かしてやるつもりで、この二人を選んで引っ張り込んだのでは無いでしょうか。(古参の幹部であるということ、斎藤はともかく 試衛館一派であるということ、で 沖田、井上は無理そうですし、原田は伊東と性格的に(いや 何となく)合いそうも無い。更に この二人は先日建白書か何かを差し出して 近藤を批判している。) 伊東の目に狂いはなかった。二人のりのり。しかも 責任は私が取るとはいえ 自分を含め この三人を切腹させられるはずがないと ちゃあんと踏んでいるでしょう。(さしてたら、それはそれで 歳さん、あんた、やるもんだねえ。と思うんですけど。まあ それじゃ 歴史も変わっちまいますんで。) 結局 翌日も「どうせ切腹する身なら」ということでがんがん飲み続け、なんと連泊を重ね重ねて4日の日、ついに かんかんに怒った近藤・土方が隊士を迎えに遣る。そりゃもう 大変な怒り様でしょうよ。で、近藤は 切腹させると言い張る。それを諌める土方。え、逆ではと思う方もいるかもしれませんが、いえいえきっとこのとおりです。さて、屯所に帰る三人の心持ちは如何に。 ここから私の仮説なんですが、土方が既に斎藤に伊東の動向を探るためにそれとなく近づくように命令していたとします。すると斎藤が伊東と共に連泊してても 土方としては文句は言えない。「そこまでやれとは 言ってねえ」と歳さんは怒るでしょうが、斎藤の方はふふっ、てなもんでしょう。 この日はとりあえず伊東は近藤の居間に、斎藤は土方の居間に、永倉は何処だったっけな、に謹慎させられ、最終的な処分は伊東、斎藤が3日間程の謹慎、永倉は6日間の謹慎でした。うーん、この辺にも怪しげなものを感じます。なぜ永倉の処分が一番重かったのかといえば、以前 近藤批判の建白書を提出したためらしいのですが、斎藤も署名してるんではないですか。それに、処分を受けるまでに謹慎させられていた部屋に注目。歳さんの居間ですよ、斎藤。なんて言うか順番からいえば永倉がそこなのでは、と勘ぐってしまうのはいけないでしょうか。きっと歳さん斎藤にぶちぶち言いながらも、いろんな事を聞き出していたのではないでしょうか。 近藤批判の建白書の後は、このもろ反抗的な角屋での連泊。伊東としては斎藤が自分の側に傾いていると思うでしょうし、まわりの隊士達もそう見るでしょう。でも だとしたらもうこの頃に 既に油小路の悲劇は始まっていたのでしょうね。
|