斎藤一
掲載日:1997/06/11

文久3年6月2日

◆ 大阪で力士と乱闘

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■ 主催 芹沢鴨様

さてこの事件は大阪に出張し、不逞浪士の取り締りにあたったときのことです。浪人を二人捕縛後に、あんまり暑いので川で舟遊びをしようということになり、芹沢鴨、山南敬助、永倉新八、沖田総司、斎藤一、平山五郎、野口健司島田魁の8人で舟に乗って酒を飲んでいた。

暫くすると 斎藤の顔色が妙に悪いので、誰かが尋ねると 腹が痛いらしい。けれども本人が大丈夫だというので 皆飲み続けるが、いよいよ斎藤の様子が抜き差しならない状態になってきた。そこで急遽 一行は淀川の鍋島河岸辺りで舟から降り、どこか休める所へ移動しようと歩き始めた。

其処へ通りかかったのが熊川熊次郎という力士。新選組の面々は稽古着に脇差しだけの軽装だったので(但し 斎藤と他数人は普段通りに帯刀していたという話もあり、流石ねえと思う反面 稽古着姿にか?とちょっと思う)力士の方も嘗めてかかったのか、道を譲る譲らないの争いになる。で芹沢先生、抜打ちにする。

一行そのまま歩き続ける。(・・・。)蜆橋まで来るとまた別の力士と諍いが起きた。今度は全員で(え゛っ!)引き倒した所に 芹沢先生馬乗り。そして先程力士を斬ったことを告げて逃がしてやる。

一行また歩き続けて ついに住吉屋という遊郭に登楼、るりるりと飲み始める。そこへ逃げた力士とその仲間が30人ほど、鉢巻を締め、手に八角棒を持って乱入。芹沢先生真っ先に抜刀、斬りかかる。

そうして結局 皆外へ出ての大乱闘。(誰か止めるやつはいないのか・・・)でもやはり、力士とはいえ生身、八角棒とはいえ木の棒、稽古着とはいえ新選組、腹が痛いとはいえ斎藤一、ね、力士達に勝ち目はなく瀕死の重傷者、負傷者多数を出して退散。後日、力士側が謝罪して まあ決着。やれやれ、ところで斎藤さんあんた、腹痛はどうしたのかね。



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