掲載日:1997/06/11

永訣の日 其の時
不退転を極めた男大正4年9月28日

藤田五郎として生涯を終える其の時の彼の姿を、なんて彼らしいのだろうと私は思います。

長年の深酒がたたり、胃潰瘍を患った彼はやがて床に就いたきりになります。そしてある日、自分の床を床の間の前に移動するようにと家族に言います。夜になって様態が急変し、咽喉に絡まった痰を 勉の妻のみどりが丁寧に取り除くと、五郎は起こして座らせてくれと言います。

抱き起こした彼の身体は痩せて羽のように軽く、心配したみどりが お身体に障ります と言っても このままでよいと座り続けたそうです。午前一時をまわる頃、彼は正坐した膝の上に両手を置き かっと目を見開きました。これが藤田五郎の、そして 新選組副長助勤 齋藤一の最後の姿でした。

床の間に正坐して息を引き取ったという話は、それを看取ったみどりが息子の藤田徹氏に語りついだそうです。

長かった彼の人生の中で、新選組という時代はほんの数年間に過ぎません。けれど その時代はあまりにも激しくて その後の彼の人生に大きく影響し続けただろうと思います。

新選組として戦いの中で倒れた者は英雄として名を残し、語り継がれています。けれど齋藤一として、あるいは山口次郎として死に損ねた彼は、藤田五郎という別の人生を苦しみながらも懸命に生き抜きました。時には 生き続けていることを嘆いたり、何故、戦いの中で逝かせてくれなかったのかと 神様に悪態をついたりもしたかもしれません。

大切なものを失いながらも、尚 生き続けなければならない者が生涯抱き続ける、手の施しようの無い痛みと後悔。けれどもその最後の時には、逝くその瞬間は 悔いの無い人生だったと、幸せであったと思ってくれていたと信じたいです。一さんは私にとって素晴らしい英雄なのですから。

ところで、畳(床の間だけど)の上で家族に看取られながら逝くなんて、新選組時代の一さんは思いもよらなかった事でしょうね・・・。

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