掲載日:1997/07/04

天満屋護衛
鎖帷子ってぇのは暑いもんだね慶応3年12月7日

まずは、天満屋事件の背景から入りましょう。(いつになく 建設的)この事件の発端は坂本竜馬暗殺事件で、新選組は いくつかあげられた暗殺犯のうちの有力候補でした。更に、それを依頼したのが紀州藩公用人 三浦久太郎ではないかという話が浮上し、三浦が土佐の坂本党に狙われたために、紀州侯から会津肥後守(容保のこと)を通し、近藤勇が護衛を依頼されました。

当日 三浦を護衛していたのは 斎藤一、大石鍬次郎、中村小次郎、中条常八郎、梅戸勝之進、蟻通勘吾、船津鎌太郎、前野五郎、市村大三郎、宮川信吉の10名(この人数については諸説あり)。さらに紀州藩士数名。そこを襲撃したのはピストルなども装備した土佐の16名。この中には、四条大橋で斎藤等と切り結んだとされる、居合いの達人 中井庄五郎(十津川藩)も居ました。

襲撃は12月7日亥の刻(10時)雪の降る夜だったといいます。新選組の面々はその夜(毎晩という説あり)大酒を飲んで ぐでんぐでんだったそうです。

永倉新八(その場にはいなかった筈ですが、後から駆けつけたようです)の遺談によれば斎藤一が2、3人引き受けたが得意の突きでバタバタ片付けたということですが「浪士報国実記」にも このとき梅戸勝之信、後ろより敵を抱き止め、遂に深手負い致す。斎藤、梅戸のために切り抜けるとありますので活躍したのでしょうね彼。

また、子母沢寛の新選組三部作の「新選組遺文」中で、山川健次郎博士談(昭和3年10月)として記されているのが、後に斎藤がこの事件について彼に語ったという話です。内容をざっと書くと、酒を呑んでいるうちに、鎖帷子の鉄甲が邪魔くさくなって その上暑苦しいので脱ごうとしたが、なかなか脱げなくて(酔っているしねぇ)ごそごそやっている時に、斬り込んできたので 今度はその鎖帷子が役に立ったという 実に運の良い話。

また、真剣の斬り合いなどというものは、早いとこ振り回した者勝ちで、夢中で斬ったり突いたりしているうちに 敵がバッタリ倒れて、まあよかった(爆)と思うぐらいなもんだという話を、斎藤がしたというのもありました。こちらは稗田利八(隊士当時は池田七三郎)翁談で「新選組物語」です。


この事件で新選組は死者1名と、重傷者(後に死亡)1名を出し、相手側は1人が即死(中井、斬ったのは斎藤とも言われる)のほか 殆どが深手を負い退却しました。


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