掲載日 1998/11/28

ちゃちゃの狭間 その8


一歩戻って第五十八・五十九幕の番外ちゃ

「やれやれ.....」声にもならない溜め息を吐いて六尺あまりの長身の男が横丁の裏路地に潜んでいる。

眠っていないのはいつもの事だが、ちょこまかと走り廻る子供の後を尾行るのは初めての事で、どうも勝手が違う。

神谷道場から牛鍋屋へ、さて、次は.....。

あのトリ頭を捜しているのは間違いないのだが、やっかいな連中だぜ.....まったく。

やがてこの辺りではありふれた下町風情の長屋に辿り着いた。

ちっ、思った通りだ、早速 旅支度をしていやがる。

今日、幾度目かの溜め息を吐いて壁に寄りかかる。

「どこへ行く気だ.....。」



署に戻る道すがら、道行く人が「おや」という顔で藤田を見上げる。

背丈、体格、歩き方、そして日本刀。たまに見かける警官さんなのだが、はて 普段と人相が違う。

藤田五郎はこの時、普通の人々に ごく普通に見せる人のよさそうな顔をしていない。

おまけに制服の肘から下はぼろぼろで、無くなってしまっている。

しかしこの男は、まったく何も気にかけずに歩き続ける。

止めようと思えば力ずくで、数ヶ月足腰立たないようにしてしまえば済むコトだった。

何故だ?自分で自分のとった行動が不思議でならなかった。

この男には滅多にないことであった。

自分はあのトリ頭の小僧に何かを期待しているのだろうか?

一体 俺は、あいつに何を見たというんだ?

そしてこの男自身、実際はその答に気付いている。が、思考がそれを言葉にすることを許さない。

いずれ.....。



扉を開けると古閑が顔を上げた。
彼もほとんど眠っていないのだが、全く疲れた顔をしていない。

「藤田?やれやれ お前、この数日で いくつ制服を駄目にすれば気が済むんだか.....。」

『姫さまはつくづく可哀相だよ』そう続けようとして止めた。

昨夜、同じことを言った時にこの男が見せた......あの背中を思い出した。

「それで、うまくいったのか?」

「..... あんな阿呆は、死ぬも生きるも勝手にするがいい、俺の知った事か」

ほう、と古閑は目を丸くする。

あの、相楽左之助とかいう男、なかなかやるもんだ.....。

自分で気付いているのかいないのか、藤田五郎は市井の人が死ぬのを何よりも嫌う男である。
ならば、あの喧嘩屋はこの男に認めさせたのだ。「闘いの中に身を置く者」であることを。

「三島から連絡はあったか」

「あぁ、今のところ変わったことはなさそうだな、報告書はお前の机の上にある」

「それから、剣術等級による腕利きの.....(声を出さずにふっと笑う)警官の名簿だ」

長い腕を伸ばし古閑から名簿を受け取ると 藤田はざっと目を通した。
実際に剣の腕を知っている者で使えそうな者も多数いた。
―――尤も、決してそれが等級上位者だった訳ではないが。

「志々雄一派討伐隊」といっても、実際に志々雄やその精鋭部隊 ― 十本刀というらしいが ― と闘う訳ではない。
その下の部下達を一掃するための人材である。

「五十人てとこだな」

何時の間にか吸いはじめた煙草の煙を吐きながら藤田が言った。

暫くして部下が慌てた様子で報告をしに来た。

藤田はなんとなくイヤな予感がして眉をひそめた。

「藤田警部補、あの.....神谷道場の二人が....旅支度で先程.....」

やれやれ。

あのガキの話じゃぁ、何も口にしないほど気を落として寝込んでいるってことだった筈だが....。

「あれぐらいの歳の小娘は何を考えているんだかな」

もっと剣呑な態度を予想していた部下は、少々気が抜けたように藤田を見つめた。
なにせ、薄笑いをしているようにさえ見えるのである。

「神谷さんの娘だからな」

古閑が目配せで部下に退室を促しながら笑って言った。

「だが、これでこちらの弱点がひとつ増えた事にかわりない」

そう言葉を続けた古閑の目は もう笑っていない。

「わかってるさ... おい、滝川」

一礼をして部屋を出ようとしていた部下を藤田が呼びとめる。

「はい」

「二人を追ってくれ、護衛というよりは見張りだな。京都まで頼む」

「は、はい」

そう言うと、滝川と呼ばれた男は足早に出て行った。

「ああ、あいつなら腕が立つが....。」

だが、十本刀が出てきたらどうか.....。

「ここで案じても仕方がないさ、取りあえず 俺は神谷道場に行くぜ」

「神谷道場?おいおい、お前が直接護衛する気か?」

「阿呆。なんで俺があんな小娘とガキのお守りを....。」

(大体もう二人は出発しているぞ>古閑)

「こいつには目を通していないのか?」

藤田が紙片を古閑に渡す。

「四乃森蒼紫....?」

「ああ、あいつが行くところはひとつだろう」

「やれやれ、やっかいごとは重なるもんだ。」古閑が呟く。

「フン、そうでもないさ」

今日は機嫌がいいらしいな。出て行く藤田の姿を眺めながら古閑はニヤリとした。

「あっ、あぁ待て、藤田。その上着は替えて行けー!」


次回につづく


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