掲載日 1997/1/18

不定期連載 ちゃちゃの狭間 その2


第四十九幕の裏

某警察署の一室(またかいっ)

いささかむっすりとした顔で、(もっとも この男は大抵そうだが)藤田が着替えをしている。
そこへ、古閑が入ってきた。

「おう藤田、早かったな。」

古閑は、ちょいと探りを入れるような目で藤田の顔を覗きこむ。

「阿呆、殺っちゃぁいないさ。」

「当たり前だ。」古閑は軽く笑った。

「やり過ぎたんじゃないかと思って心配したのさ。」

「ふっ」 藤田は着替えを終えると自分の椅子に腰掛けた。

「だが・・・。あそこで立ち上がるとは思わなかったぜ。」

『やっぱりやり過ぎたのか・・・』(古閑心の声)

「渋海から使いは来たのか?」

「ああ、山脇に来いとさ。」

「そうか。」

古閑は藤田が腰を落ち着けたのを見て取ると、おもむろに立ち上がり言った。

「まだ行くには早かろう。」

ゆっくりと藤田の方に歩いてくる古閑の手には、書類の束があった。

「お前の分だ。」

目の前に置かれた報告書を見ながら、藤田は明らかに当惑している。

その表情を見て、さすがの古閑も呆れたという顔をしている。

「おい、まさか全部俺にやらせる気だったのか。」

「・・・。」

古閑の方へ顔を向けたものの、藤田は相変らず実に迷惑そうな顔をしている。
まるで当たり前だといわんばかりに・・・。

「お前の分も茶を入れてやろう。」

にこりと笑って部屋を出る古閑。

『よしっ。』思わず廊下で拳を握りしめると、給湯室の方へと歩いて行った。

−数時間後−

「そろそろ行ってくる。」 むすりとして立ち上がると藤田は部屋を出て行った。

ふと藤田の机の上を見ると、そこには書きあがった報告書があった。

「やれやれ、あいつの方がよっぽど字がうまいのに。」 几帳面に書かれた字を眺めながら、古閑はそう呟いた。


「では本官はこれで失礼します。」


カチャッ、カチャ。

刀が金具に触れる度にそんな音をたてて藤田は歩いていた。
其処の角を曲がればすぐ行きつけの料亭だ。

料亭といってもそれは、薩長の高官が好んで使う豪奢な感じの高級料亭ではなく、こじんまりとしてお世辞にも高級とは言えないところである。
藤田も古閑も、その職務の特殊性から かなりの高給取ではあるのだが、こぎれいで酒も料理も申し分ないその店が気に入りで、よく使った。

ガラリと引き戸を開けると女将が出迎えた。

「あら、藤田さん、お相手がお待ち兼ねですよ。」

いかにも江戸っ子らしくハキハキと言うと、女将は不思議そうな顔をしている藤田を、ほらほらと急かすように座敷に案内した。

「先にやってるぞ。」猪口を軽くあげながら古閑が笑って言った。

「飲み直しがしたかろうと思ってな。」

古閑は猪口を藤田に渡すと、自ら酒をついでやった。

「いきなりお前の酌か。」言いながら藤田がひと口で飲み干す。

「言いやがる。」

女将に銚子を手渡し、それぞれついでもらう。

「まだ早いし、飯は家で食いたかろうから、つまみでも持ってきてもらうか。」

はいはい、と 笑いながら女将が座を離れる。

「渋海の酒じゃ、お前は呑まんのだろう。」

「わざわざ、まずい酒を飲む事もあるまい。」

「お前なら、そうだろうと思った。」

古閑は嬉しそうに笑った。

「で、いよいよ明日にでも緋村のところへ行くのか。」

「おそらく、な。」

「そうか。」古閑は猪口を置くと身を乗りだす様にして藤田を見据えた。

「力量を測る。」

「あ?」

「いや、忘れちゃいまいが念のためさ。」(さすがだ古閑!)

「わかっている。」

「そうか、ならいいのだが。」

そう言いながらも古閑は、藤田の眼の奥に静かに燃える、ある種の焔に気づいていた。
そう、まるで待ち焦がれていたものを手に入れる瞬間のような。

月が高く、小さく、静かな夜だった。


次回へ続く


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