如来堂

 如来堂
如来堂前に建つ新選組殉難地の碑

苦労しました、見つけるのに。でも どうしても確かめたい事があったので、大量の蚊や、獰猛な犬、手が切れる葉っぱ等の障害物を乗り越え、何とかたどり着きました。

如来堂はご存知の通り、山口次郎率いる新選組の会津残留隊(またの名を 会津で玉砕次郎さんチーム)が、西軍の不意打ちをうけて全滅したとされているところです。私がここでどうしても確かめたかったことは、まず位置的なものの把握と、果たしてどれぐらいの敵に攻込まれたのかを予想する事。

たしか斉藤一年表の、如来堂の戦いのところで 私はあえて僅か十数人のところへ、数十人に攻込まれたと書いたのですが、資料によっては数百人となっているものもありますので(中島登 絵巻とか)、どうしても目で見て確かめてみたかったのです。たった数十人の敵に全滅させられるほど、新選組はヤワじゃないぜ というご意見も頂きましたし。(私もそう思います)

ただ、実際に見てみると非常に困難なのですよ、これがまた。如来堂は本当に小さなお堂が少し小高いところにぽつんとあるといった風情のところで、(当時は解りませんが)現在は、見わたす限り畑といってもよいようなところにあるんです。しかし、それにもかかわらず、前述した通り非常に見つけるのが大変なところなんです。なぜだ?木や丈の高い草の所為だろうか?しかしそれでも、ここを数百人に攻込まれて 果たして逃げ切れるものだろうか? 山口次郎、他数名は現にこの戦いの後に生存していた事が確認されているので少なくとも何か逃げ切れる要素がここにはあったはず。

まあいろいろと、考慮した上で 私が想像するに、百人から百数十人の敵であったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。それでもやはり尋常ではない強さと、並外れた強運を持っていた、ということは確かなようです。(さすがだ斎藤)

まあ どのくらいの敵だったのかは、西軍側の別の資料等も調べてみればもう少し詳しくわかるのでしょうね。これは後々調べてみる事にしましょう。

それでは、写真の新選組殉難の地の碑の後ろに書かれている事を原文のままここに記しておきます。

「 戊辰の役会津に来援の新選組副隊長 土方歳三ら 百数十名は白河口 母成口等で防戦につとめ、九月四日にはこの如来堂の激戦で隊長役山口次郎らが 大いに戦い 十三名は華と散った」




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