掲載日 1997/07/01
最終更新日 1997/07/02

夢にまで見た 墓参り

ある日の 阿弥陀寺

今回の会津旅行の最大の目的は、斎藤さんのお墓参り。ご家族に看取られて無くなった斎藤さんは、確実にそのお墓に葬られているのですもの。なんだか一さんに逢えるような気がして(また、怖いことを.....)緊張してしまいました。

斎藤さんが静かに眠る「藤田家之墓」があるのは、会津若松市、七日町(なぬかまち)にある阿弥陀寺。(あとで簡単な地図をUPします。)

−お役立ち周辺ガイド−

  • 電車の場合は七日町駅からすぐ近く
  • すぐ傍にコンビニがある、場所柄 束のお線香も売っている
    (でもインスタント着火みたいな、味気ないやつ)
  • 七日町通りには 花屋も仏具屋もある

  • −ちょっとだけ 気を付けたいこと−

    お墓参りというと、私は自分のご先祖様のお墓しか行ったことないですが、お寺によっていろいろと作法も違うようです。
    小難しいことをここで書く気はないのですが、例えば お寺により、お墓を管理して下さる方がいて お花やお供え物を残してきてもよいところもあるのですが、親族・子孫の方々のみならず、不特定多数の人が訪れるようになってしまうとちょっと問題も出てきます。
    いつもいつもお花やお供えで一杯というのは、とても素敵なことだと思いますが、多ければ多いほど片付けるのも大変になってきます。従って お花や、お供えはある程度自分達で始末しないといけないと思うのです。せめて自分がお供えをする時に、枯れたお花や古くなったお供えなどを片付けて、掃除をするように心がけたいと思います。
    大切な一さんのお墓を奇麗に保つためですから、頑張りましょう。

    この阿弥陀寺には、会津戦争戦死者の碑があり その正面にお線香や記帳用のノートなどが置いてある棚があります。(ごみ箱もここにあります)

    私たちが七日町についたのは 6月21日(土)の夜ですが、既に母成峠で泥まみれの状態だったので、はやる気持ちを押さえつつ 宿に入り食事を取り、お墓参りは翌日ということにしました。で、部屋に帰る時 駐車場からふっと外を見ると、何と其処に阿弥陀寺が。ええっ、まさかこんなに近いとは。なんと細い道を隔てたお向かいだったんです。30メ−トルと離れていないところに斎藤さんが眠っているとは、ちょっとドキドキで呑気に眠るどころじゃありませんぜ。(しかし、疲れていたので結局 爆睡)

    さて翌日、まさに日本晴れの日曜日。朝食を済ませて まずは朝のご挨拶に。お寺に入るとご住職が3人ほどの女性のグループに囲まれてらっしゃる。お墓の中をうろうろするよりは、先にお寺の方に聞こうと思っていたのですが断念。というより、知らないくせに何故かふらふらと足が向いてしまい気がつくと藤田家之墓の前に立っていた私。マジであせって うっかり「はじめまして」と言ってしまった(本当です)。あぁ、最初になんて言うか決めてたのに・・・。

    まあそれはともかく、すごく良い場所にあります、斎藤さんのお墓。まず阿弥陀寺に正門から入ると、すぐ正面に鶴ヶ城の本丸御三階が見え、左手には会津戦争で亡くなった会津藩士の碑が見える。ここは、外から見ることは出来ますが、結構高い石段の上にあり門が閉まっています。まっすぐ御三階のほうに進み、ふっと左を向く。するとそこに斎藤さんのお墓が。つまりは石段のすぐ裏脇に一画だけババーンとあるんです、これが。

    「藤田家之墓」とだけ掘られた墓石の脇に、中に葬られている方の名前が掘った石版が置いてあります。斎藤さんの遺言で、彼には戒名がありません。あの世でも藤田五郎さんです。それってなんか、粋で一さんらしいなと思います。容保侯に戴いた大切な氏名ですし、きっととても大事にしていたのではないでしょうか。彼が一番ながく共に過ごした名前でもあります。

    なんだかもう、胸がいっぱいで 心の中で ぽつぽつと 意味のない会話をしてしまいました。まずは、朝のご挨拶を兼ねて お墓の様子を見てお花の丈や束の大きさ、色を決めようと思っていたので、とりあえずチェックをし 車に戻って花屋さんに向かいました。

    さあ、花屋さんに着いた。お花のイメージは決っている。色は白と紫(または濃紺)、種類は菊、そしてリクエストしてもらった菖蒲など。しかし、2件まわった花屋さんの両方とも菖蒲は売っていない。せっかくリクエストしてもらったのに・・・。諦めきれずに、せめて葉だけでもと思い2件目の花屋で菖蒲の葉を入れてもらいました。すごくいい香りでした。カラ−という花は こんな暑い日には 水揚げが悪くなるので不向きと言われて断念(熱帯の花っぽいのに)。結局は白い大きな菊と、ブル−スタ−という蒼い花になりました(+菖蒲の葉)。ブル−スタ−は乾いても色が綺麗ということで決めました。丈が 40〜50cm 位の程よい花束が2つ完成。

    お線香は あれこれと考えた挙げ句、京都の香りが懐かしいかなと思い「斑鳩」(いかるが)って決めていたのに 持ってくるのを忘れ(大ショック)、七日町の仏具屋さんで 少し控えめで上品な感じの香りがするお線香を購入。

    さあ、再び阿弥陀寺に到着。しかし、なんと既に黄色やピンクのお花が供えてある。さっきはなかったのに。でも、こうして大勢(?)の人が、お参りしてお花を供えてくれるのは 良いことなので「やるじゃん はじめ」(敬称略)と思いつつ、お花を共存させるのに一苦労。でもまあ、なんとかまとめて(色はちょっと ちぐはくだが)供えることに成功。

    さて、このお寺、水道が何処にあるかわからない。結局見つけられず、ボトルのミネラルウォ−タ−を使用。「斎藤さん、フランスの水だよん」そしてお線香をあげる。あぁ、なんか 涙でてきちゃったよ。

    道路の向こうに陽炎がたつほどの日差しの中で、一さんのお墓は 辺りの空気と同化して、ひっそりと力強く其処にありました。そう これからも永遠に。

    さて、同じ宿にもう1泊して 翌日の月曜日。前日に負けないくらい暑い。朝、斎藤さんを訪れると もう花の水がない。車に戻って水を取ってくる。花の水を替えて、暑かろうと石にも だばだばかける。ハッ、もしかしたらこの地方ではそういう事をしないのだろうか、だから水道や手桶が見当たらないのか?ちなみに東京では墓参りの時は、皆で墓石に水をかけます(たまに たわしで擦ったりもします)。

    2日目ということもあり、今日は気分的に落ち着いてゆっくり話し掛けることができた。声出してたらスゲ−怖いに違いない(人が見たら)。さて、カメラを取り出す。でもお墓の写真はなんだか、静かに眠ってる人の邪魔をするようで、気が引けて撮りたくない。お墓の写真を見たかった人ごめんなさい。でも、いくつかの新選組本に出てますのでお許しを(逃げたな)。なのでここでは、斎藤さんがいつも見ている風景を ご紹介します。こんな風景を見ながら、斎藤(藤田)さんは眠っています。時尾さんや、勉さん、みどりさんご夫妻、素子さん、律さん(この2人は、一さんのお孫さん)と一緒に。きっと、幕末の頃が夢であるかのような 穏やかな日々を過ごしているに違いない。ご冥福をお祈りいたします。

    斎藤さんがいつもみてる景色

     景色
    これは丁度お墓の正面
     鶴ヶ城本丸
    これは左斜め前(鶴ヶ城本丸御三階)




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